徳川幕府にとって西国への重要な備えとしての役割を担っていた彦根城ですが、太平の世となった中では天守以下倉庫として徳川時代の大半を過ごしました。
■湖と山にはさまれた狭い平地にある彦根は、中山道と北陸道が合流し、水陸から京に至る東国と西国の節目にあり、戦略的・政治的に重要な地域として古来より重要視されてきました。
■彦根城の建築物には転用されたものが多く、コスト削減と工期短縮のために行なわれました。大津城からは4重5階の天守を3重に縮小して移転されました。佐和山城からは佐和口多門櫓と太鼓櫓門、長浜城からは天秤櫓、小谷城からは西ノ丸三重櫓など、その他多くの移築伝承が伝わっています。
■昭和26年(1951)天守等7棟が重要文化財に指定され、昭和27年(1952)には、天守・附櫓・多聞櫓が国宝に指定されました。国宝への指定は姫路城より5年早く登録され、現在ある城の姿をとどめる事になりました。
初代 | 井伊直継 | 慶長8年(1603)-元和元年(1615) | |
二代 | 井伊直孝 | 元和元年(1615)-万治2年(1659) | |
三代 | 井伊直澄 | 万治2年(1659)-延宝4年(1676) | |
四代 | 井伊直興 | 延宝4年(1676)-元禄14年(1701) | |
五代 | 井伊直通 | 元禄14年(1701)-宝永7年(1710) | |
六代 | 井伊直恒 | 宝永7年(1710)-在位50日で卒去 | |
七代 | 井伊直興 | 宝永7年(1710)-正徳4年(1714) | |
八代 | 井伊直惟 | 正徳4年(1714)-享保20年(1735) | |
九代 | 井伊直定 | 享保20年(1735)-宝暦4年(1754) | |
十代 | 井伊直? | 宝暦4年(1754)-在位60日で卒去 | |
十一代 | 井伊直定 | 宝暦4年(1754)-宝暦5年(1755) | |
十二代 | 井伊直幸 | 宝暦5年(1755)-天明9年(1789) | |
十三代 | 井伊直中 | 天明9年(1789)-文化8年(1811) | |
十四代 | 井伊直亮 | 文化8年(1811)-嘉永3年(1850) | |
十五代 | 井伊直弼 | 嘉永3年(1850)-安政7年(1860) | |
十六代 | 井伊直憲 | 安政7年(1860)-明治4年(1871) |
価格:880円(税抜 800円)
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