■天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の個性あふれる大坂城天守を1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
復元 : 佐藤大規
監修 : 三浦正幸(広島大学大学院教授)
■大坂城は上町台地の北端にあり、北に流れる淀川と旧大和川の水運と住吉・堺、和泉・紀伊と京都・山陽方面ををつなぐ陸上交通の要地でもありました。
台地に沿った坂に町が作られたため「小坂」「大坂」と呼ばれたと言います。
■石山本願寺時代 大坂周辺に布教活動を行っていた蓮如により明応5年(1496)に坊舎が建設され、後に石山本願寺となり戦国大名に匹敵する規模の勢力となりました。織田信長との10年に及ぶ石山合戦も城郭そのものが難攻不落の名城であったため武力による開城はなかったそうです。
■石山本願寺の跡地に天正11年(1583)豊臣秀吉が築城を開始しました。本丸の完成までに1年半を要し、台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施されました。完成までに15年を要し二の丸、三之丸、総構えが建設され、3重の堀と運河によって堅固な防衛設備が施されました。
天守は、絵画資料によると外観5層で外壁や瓦に金をふんだんに用いた姿で描かれています。
■慶長8年(1603)に徳川幕府が成立した後も、豊臣秀頼は大坂城に留まり、摂津・河内・和泉を支配していましたが、慶長19年(1614)の大坂冬の陣により講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却となり、大坂城は内堀と本丸のみの裸城にされてしまう。秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣の4ヵ月後の慶長20年(1615)大坂夏の陣により大坂城は落城し、豊臣家は滅亡しました。
■現在見られる大坂城の縄張りは、徳川家によって再建され、豊臣による城郭形状は10数メートルの盛り土により見ることはできません。
価格:1,980円(税抜 1,800円)
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